ジェームス・バートン・トリビュート・イン・ジャパン

2003年7月5日(土)
18:30
東京・ヤクルト・ホール

世界中にギタリストはたくさんいるが、最も成功したバック・ギタリストはおそらくジェームス・バートンではないかと思う。
大きな成功を遂げたギタリストは何人もいるが、ジェームスに関して云えばその殆どのキャリアが歌手のバックアップ・ギタリストとしての活動で、基本的にはスポットを浴びる立場ではなかった筈だ。
だが特にアメリカ・ポピュラー音楽の歴史を考えるとき、この人の存在無しには話が進まないというのは嘘偽りのないところだ。
それ程までにこのギタリストがポピュラー音楽史に残してきた足跡は大きい。
リッキー・ネルソン、エミルー・ハリス、マール・ハガード、エルヴィス・コステロ、そしてエルヴィス・プレスリーなど、顔ぶれを見ただけでも凄い蒼々たるメンバー達のバックをジェームスは務めてきた。
その中でもプレスリーは自分のバンドにジェームス・バートンが欲しくて再三にわたって交渉をしたようだが、多忙を理由にジェームスは断ったらしい。
業を煮やしたプレスリーは自らジェームスに電話して40分もかけて説得したという。
その後の活躍は広く世間に知られる所となった訳だが、そのジェームス・バートンが日本に来たのだ。
過去にも来日はしているが、ジェームス・バートンのギターを聞くためのイベントというのは今回が初であり、そしておそらくこれが最後であろう。
今回はライブ・ハウスなどを始めいくつかの場所でライブが行われたが、私は7月5日・東京・新橋にあるヤクルト・ホールでのトリビュート・コンサートを見に行った。
いかに凄い人であろうとジェームスはバック・ギタリストであるから、私はヤクルト・ホールの席が全部埋まるのかと心配だったが、意外な事に会場は満杯でチケットもソールド・アウトだったようでまずは目出度いのだ。
とは云うもののの客席には着物を着た女性などもいて、いつも私が行くコンサートとはやけに趣が違う上に、何やらオバサン風化粧品のニオイなども漂っていてどうもイカンのだ。
そうかと思えばリーゼントのお兄さんがいたり、若い女の子の二人組がいたりしてどうも客層が掴めない。
まあリーゼントのお兄さんは分かるような気もするが、若い女の子の二人連れとか着物の婦人というのが解せない。
何かの間違いで入ってきてしまったのだろうかとも思ったが、日本人出演者の固定ファンが大挙してやって来たというのが満員の真相のような気がした。
それともヤクルトおばさんがチケットを配って歩いたのだろうか?
そんな事を考えているうちにベルが鳴っていよいよコンサートの始まりだ。
コンサートは2部に分かれていて、第1部は日本人アーティストによるジェームス・カバー集というような趣で、第2部にいよいよジェームス・バートン登場という予定だ。
第1部が始まる前に名目上今回のコンサートの主催者という事になっている“湯川れい子”氏のオープニング・スピーチがあった。
実は私は前からこの人が好きで、好んでこの人が書いた記事を読んできたが、この夜のお話もとても適切で面白いものだった。
第1部はこの際割愛するとして、ジェームス・バートンが登場した第2部の話だけしたいと思う。
結論から言ってしまうのもナンだけど、やはりジェームスは凄かった。
使っているギターは当然テレキャスター。とはいってもスタンダードなテレキャスではなくて、3マイクのスペシャルものであったがいい音してました。
演奏曲はプレスリー、コステロ、そして嬉しいリッキー・ネルソンなどのオン・パレードであったが、まさか「トラヴェリン・マン」や「ハロー・メリー・ルー」の生演奏をこの目で見られる日が来るとは思っていなかったので、これは大感激であった。
普通最初の録音から年月を重ねると演奏スタイルも変わっていく事が多いが、この日の演奏は耳に馴染んでいるレコードに近い演奏でとても良かった。
音はこれ以上あろうかという程のクリーンな響きで、ジェームスが弾く一音一音が良く聞こえるストレートさ。
やはりテレキャスターを使っている日本人サポート・メンバーとは全然音が違う。
ただ昔のようなテレキャスター独特の“エグさ”みたいなものはなくて、ひたすらクリーンな音であったのは昔とは違う部分。
私個人としてはテレキャスターの持つ“エグい部分”も非常に好きで、そういう音が聞けなかったのは残念だが、それは奏者も含めてギターを取り巻くあらゆるものが変わってしまった今日となっては仕方がない事なのだろう。
と、ジェームスの演奏については良いことばかりであったが、私が当初抱いていた「ジェームスが一人で来て、歌はどうするの?」という不安は的中してしまった。
日本人出演者には大変申し訳ないが、私には歌とバックバンドが満足できなかった。
トリビュートというライブの性格上、ある部分を代役が務めるのは仕方がない事だが、歌は最も大事な部分であり、そこが満足出来ないと苦しい。
これは上手いとか下手とかいう事ではないと思う。
この日ジェームスの息子が会場に来ており、殆ど普段着という衣装で何曲か歌った。
決して上手いとも思わなかったが、日本人とはグルーブが違って安心して聞いていられるのだ。
日本人が英語の歌を歌うというのは、例えばアメリカ人が日本の民謡を歌うのに似ているのではないかと思う。
私が知る限り日本に相当長く住んでいる外国人でも完璧な日本語を話す人というのは見た事がない。
同じ事が日本人にも云えると思う。
どんなに上手に歌っても所詮は日本人であり、グルーブまでコピーする事は出来ないのだろう。
またバックバンドについても同様の事を感じた。
ロニー・タットを擁したプレスリーのバンドと比較する事自体に無理があるが、この日のバック陣にはドライブ感が感じられず、やはりこういうサウンドに日本人は無理なのかと思ってしまった。
ウーン・・・何だか後半は文句ばかりになってしまったが、ついでにもう一言云うと、この日ジェームス・バートンのキャリアについて、マール・ハガードとの仕事を語る人がいなかったのは何故だろう。
ジェームス・バートンの仕事についてマール・ハガードの存在というのは私的には大きいのだ。
何故ならあの時代キャピトルに残された音は、テレキャスターという楽器の録音に於いて素晴らしいものがあったし、ジェームスのプレイについても最もそれらしい部分が濃厚に残っている好テイクが多いのだ。
少なくても私の仲間内ではテレキャスター聞くなら“キャピトル録音に限る”、というような暗黙の了解があるのだ。
どうも日本の音楽マーケットでカントリー・ミュージックは正当な扱いを受けない事が多いが、ジェームスのキャリアを考えてもカントリーというのは切り離せないと思うのだ。
どうも後半は文句ばかりになってしまった。
前述したように多少の不満もあったが、大筋では満足できた夜だった。
繰り返して強調したいが、ジェームス・バートンのギターは音もプレイも素晴らしかったし、特にアンコールでやった「ラブ・ミー・テンダー」のインストは胸に迫るものがあった。
今更私が云う事ではないが、ジェームス・バートンという超一級のギタリストを目前で見られた事は私の財産になった。

普段の私は決してコンサート会場でグッズを買うような事はしない。
それは音楽とは関係ないと思うからだ。そんな所に金を使うんだったらもっとCDやレコードを欲しいという気持ちから、グッズ類に手を出した事はなかったのだ。
だが今回は大枚3500円出してTシャツを買ってしまった。
Tシャツを買った人にだけサインをくれて、おまけに握手までしてくれるというので、一度は通り過ぎたTシャツ売場の前を引き返して遂に買ってしまったのだ。
そして行列に並ぶこと15分。
サインをもらって握手をしてもらった。ジェームス・バートンの手は温かかった。
しかし驚いたのは妙齢のご婦人が行列に並んでおり、何とその人は来ていた着物にサインをもらっていた。着物の値段だってピンからキリまであると思うが、気軽にTシャツを買うような値段でない事だけは確かだ。一体どんな人なのだろうと思う。会場内にいた和服の人達といい、若い女性の二人連れといい、この日コンサートでは不思議な人達を多く見かけた。

キーホルダーも買ってしまったのだ。
ジェームス・バートンの使用ギターとして最も印象が強いペイズリーのテレキャスをデザインしたもので、左の台紙写真のジェームス・バートンが抱えているテレキャスターの部分がキーホルダーになっている。
でも使えないなこれは。
1500円ナリ。