Carpenters
緑の地平線

horizon 1.Aurora
2.Only Yesterday
3.Desperado
4.Please Mr.Postman
5.I Can Dream Can’t I
6.Solitaire
7.Happy
8.Goodbye And I Love You
9.Love Me For What I Am
10.Eventide

ギター・ファンのサイトでカーペンターズというのは「エッ!」と思う方もいるかもしれないが、ここで紹介するのは紛れもなくあの「ジャンバラヤ」をヒットさせたカーペンターズの事である。
カーペンターズは数々のヒットを飛ばしていて、それらのヒット曲の印象が強いものだから、単なるコーラス・グループのひとつ位に考えている人もいるようだが、それはとんでもなく大きな間違いだ。
もちろんカーペンターズとはリチャードとカレンの二人組を指すワケで、バンドとしてひとつのカタチを形成していたとは云いにくいが、レコーディング時のメンバーはわりに一定しており、それがカーペンターズであるとも云えるワケだ。
今回紹介するのは「緑の地平線」という邦題がつけられた、1975年発売の彼らの傑作だ。
当然の事ではあるが、このアルバムでギター・ソロがガンガン聞けるというワケではない。
しかし、ギタリストとしてスターになれるというのはホンの一握りのプレイヤーだけなワケで、残りの大半はシンガーなどのバックに回ってレコーディングやステージを務めているのである。
だとしたらそういうバック・ミュージシャンのプレイに注目しなければ、ギター・ミュージックの面白さは半減してしまうし、またそうしたプレイヤーの中に職人ワザを発揮するすばらしい人達がいるのだ。
アルバムは「AURORA」という1分30秒ほどの短い曲から始まり、2曲目の「ONLY YESTERDAY」に続く。
「ONLY YESTERDAY」はリチャードとジョン・ベティスの作によるカーペンターズらしい軽快な曲で、75年にビッグ・ヒットを記録して11枚目のゴールド・レコードを得ている。
ここでギターを弾いているのはトニー・ペルーソという人で、カーペンターズの一連のアルバムの中でもかなり多くのギターを弾いている人だ。
トニー・ペルーソは1972年にリリースされた「トップ・オブ・ザ・ワールド」に収録の「愛にさようならを」で印象的なソロを弾いていて、ここからカーペンターズとの付き合いが始まったという。
ここで聞けるギターの音はかなり特徴的だ。世界広しといえどもギターの音色だけでプレイヤーを特定できる人というのはそう多くいるものではない。
しかし、ここで聞けるギターの音はプレイヤーの知名度のわりには「カーペンターズのギターだよ」という風に特定できるほど個性的だ。
エフェクターはビッグマフ(懐かしい名前だ)を使っているというが、この時代の事を振り返ってみると、こういういかにもファズといった感じの歪ませ方は徐々に姿を消していった時代であり、世の中はナチュラル・ディストーションに向かっていたような記憶がある。
そんな風潮の時代であった事を考えるとずいぶん古風な音だという気がするが、不思議に古さを感じさせない。
このトニー・ペルーソの音に近い音を出していた唯一のプレイヤーがいる。
それはイギリスのロック・バンド、ムーディー・ブルースのギタリストであるジャスティン・ヘイワードだ。
例えまったく同じ機材を使っていたとしても、弾き方や録音の状態で音は変わってしまうものなので、そういう事を考慮に入れてもジャスティンが出すあの音は、トニー・ペルーソの音にけっこう近いのではないかと思っている。
特にカーペンターズのレコーディングの時には、その時代の最先端の録音技術を積極的に取り入れたという事なので、ギターの音に関してもかなりの処理を施されている可能性は高く、例え同じ機材を使っていたとしても両者が出す音には違いがあるかもしれない。
次の「DESPERADO」はイーグルスの名曲として人気が高い曲だ。私はこの曲に関しては何枚かのブートや日本公演のテープなどで聞けるリンダ・ロンシュタットのライブ物がいちばん好きなのだ。
私はカレンの歌唱力に関しては最大限の賛辞を惜しまないが、この曲だけはリンダの方がいいと思っている。
一言で簡単に云ってしまえば表現力の問題だろうか?私はもちろんカレンに関してもリンダに関してもプライベートな部分は、雑誌などで知り得る情報しか知らないしゴシップ記事などにはまったく興味がない。
しかし、この曲で私が感じているカレンとリンダの差というのは、「恋多き女」といわれたリンダのその方面での経験の多さで勝っているという印象なのだ。
特にライブでのリンダのちょっと気怠い感じはこの曲に合っていると思う。
オフィシャルな音源ではないが、1979年3月にピアノだけの伴奏でこの曲を歌っているリンダの武道館でのライブはかなり良い。
だからといってカーペンターズのこのテイクが決して悪いワケではない。
何故かこの曲は女性ボーカルの方が私は好きで、本家のイーグルスよりも、カレンの歌の方が好きだ。
強引に順位を付けるなら1位、リンダ 2位、カレン 3位、グレン・フライ 4位、イーグルスという事になってしまう。これはあくまでも私の個人的好みだが。
「PLEASE MR. POSTMAN」はカーペンターズが残した多くの録音の中で、傑作のひとつに挙げてもいい曲だと思う。
知っての通りこの曲はカーペンターズのオリジナルではなく、モータウンの女性5人組グループであるマーヴェレッツが1961年に全米1位に送り込んだヒットだ。ビートルズもレパートリーに加えていたので知っている人も多いと思う。やはりこういう曲でのカーペンターズは素晴らしい。
ポップで軽快なアレンジ、弾むベース、短くて的を得たサックスのソロ、そしてそのまま口ずさむ事も出来るギター・ソロと、どれをとってもポップスの王道を行っている。
アレンジや演奏が見事なのは云うまでもないが、この曲自体が極めてカーペンターズ向きであると思う。こういった選曲はおそらくリチャードとカレンが行っているのだと思うが、その確かな選曲眼は一流の演奏家であると同時に、彼らが熱心な音楽ファンである事の証明になると思う。
この曲でのソロはジャンバラヤやMADE IN AMERICAに収録の「BEACHWOOD 4-5789」と並んで、カーペンターズ・レパートリーのギター・ソロの白眉だと私は思っている。
前に口ずさめるギター・ソロと書いたが、往年のポップスにはそのようなソロがたくさんあって、例えばコニー・フランシスの「カラーに口紅」や、ギター・ソロではないが同じくコニーの「ヴァケイション」のサックス・ソロ、そしてリッキー・ネルソンの「ヤング・ワールド」のギター・ソロなどは何れも口ずさめるソロだ。
それはまだ早弾きなどがないから口ずさみ易いとも云えるが、言い換えればそれだけ印象的なソロという事だ。
最近そういうソロを聞かせるプレイヤーは少ないが、それが時代の要求なのだろうか。
次の「I CAN DREAM CAN'T I」はしっとりと聞かせてくれて実にいい。
この曲はもともと1930年代のミュージカルの曲で、古くはアンドリュース・シスタースもカバーしている。その時の邦題は「せめて夢で」と付けられており、なかなか良いタイトルを付けたものだと思う。
日本の曲で「夢で逢えたら」というのがあり、近年ラッツ&スターというグループがリバイバルさせたが、これもなかなか良い曲であった。
話が逸れたが、カレンはこの曲をシットリとドリーミーに歌い上げており、とても暖かい雰囲気の漂う佳曲になっている。
冬の寒い夜、暖かい暖炉の前で微睡むような安らぎがあり、オールドタイムな感じが心地よい。
ここでアレンジとオーケストレイションを担当しているBilly Mayは、「クリスマス・ポートレイト」等のアルバムでも活躍しているのでご存知の方も多いと思う。
こういう古い曲でのこの人の存在感は大きい。
ちょっと懐かしい感じのするストリングスはカレンの絶品ヴォーカルを引き立てていて、往年のハリウッド映画の感じもありなかなかゴージャスな雰囲気だ。
今、入手は難しいと思うがビング・クロスビーがローズマリー・クルーニーとデュエットした傑作アルバム、「ビング・クロスビーとローズマリー・クルーニーの楽しい音楽旅行」は、やはりBilly Mayがアレンジと指揮を担当しており、とてもいいアルバムなのでチャンスがあったら是非聞いて頂きたいと思う。特にカーペンターズが好きな人にはお薦めしたい。
というのも両者の音楽のベースにあるものが、全く同じとは云えないまでも、非常に近いものがあり、それは音楽を楽しく聞かせるという所にあると思うからである。
若き日のリチャードはペリー・コモやビング・グロスビーにも親しんだというから、このアルバムと何らかの接点があったとしても不思議ではない。
それぞれの曲に対するコメントはここで終わりにしたいが、今回これを書くにあたってカーペンターズの色々なアルバムを何回も聞き直してみた。
そこで感じた事がふたつある。
ひとつめは録音がいいという事。カーペンターズがその時代に於ける最高の録音技術を積極的に利用したという事は前に書いたが、それを裏付けるように今改めて聞いてみても決して最新録音のCDに遜色を感じない音だ。全体的にやや低域に重きを置いた音作りであり、例えば私が普段の生活で手軽に使っている安いポータブルCDで聞いたりすると、かなり音がコモったような印象になってしまう。これはそのCDプレーヤー自体の音作りの傾向も手伝って、高域を押し殺しているような部分もあるのだが、ある程度しっかりした装置で聞くと実に心地よく聞くことが出来る。カーペンターズと同時代に録音された他のアルバムを聞くと、ものによってはかなり古くさく感じる事があり、そういう意味でも彼らに一切の妥協がなかった証だと思う。
そしてふたつめはベースのジョー・オズボーンのカッコ良さだ。
ベースだって文字通りギターの一種なワケだから、ここでそれについて書くのは一向に構わない筈なのだが、残念ながらベースに関してはそれほど詳しいワケではないので、CDを聞いて感じた事を簡単に書いてみたい。
ベーシストの世界にもギターと同じようにスーパー・スターが存在しているが、基本的にベースというのはバックを支える要であり、ソロを弾く事もあまりないのでヒーローにはなりにくい存在だ。
つまり「内助の功」的な役割を担わされるワケで、ただ黙々とリズムを刻んでいるのがカッコ良かったりするわけだ。
ジョー・オズボーンのベースもバックに徹していて、目立たず出しゃばらず、ただひたすらカーペンターズの屋台骨を支えているという感じで好感が持てる。
今、目立たずと書いたばかりだが、前にも触れたように、カーペンターズのレコード(CD)は低域方向にウェイトが重い音作りなので、ある程度の装置で聞くと低域の量感が豊かなのがよく分かる。
その分ジョー・オズボーンのベースが他の音に埋没する事なく聞き取れるので、結果として目立っていると云えなくもないのだ。
しかし、それはあくまでもカーペンターズの音作りの結果としてであって、決してジョー・オズボーンのプレイ・スタイルによるものではないと思う。
ヘッドフォンを使ってゆっくりカーペンターズを聞いていると、いつの間にかベース・ラインを追っている自分に気付く事があり、それもカーペンターズを聞く時の大きな楽しみのひとつになっている。ジョー・オズボーンほどの名手になればいろいろなセッションに名を残しているが、その中でも私が最も耳にする機会が多いのは60年代初期にヒットを連発した「リッキー・ネルソン」のバック・ミュージシャンとしてのジョーである。
この時はギターにジェームス・バートンも参加していて、飾り気のないテレキャスター・サウンドを聞かせているので興味がある方は聞かれると良い。
無理を承知で敢えて云わせてもらえば、こんなベーシストとバンドを組んでみたかったと思う。最後になってしまったが、このアルバムでのギターについてちょっと触れておこう。
最初に書いたとおり、このアルバムで多くのギター・ソロを期待してはいけないし、云うまでもないと思うがメインになるのは当然カーペンターズの歌であり、コーラスである
しかし、本文の中でも触れたような楽曲で聞けるギター・ソロは紛れもなく一級品であり、特に「PLEASE MR.POSTMAN」などで聞けるソロのポップな感覚は充分な評価が成されるべきだと思う。
それに歌のバックで聞かれるギターはさり気なくカッコ良く、脇を支える他の名手たちとのコンビネーションも素晴らしい。
先にも述べたが、、ギタリストのトニー・ペルーソは1972年の「愛にさようならを」からカーペンターズに参加しており、それ以前は60年代中期頃にヒットを飛ばしていた「ポール・リヴィア&ザ・レイダース」のメンバーであった、マーク・リンゼイのバックをやっていたという事だ。
1971年のカーペンターズのコンサートでマーク・リンゼイが前座を務めて、その時にトニーのギター・プレイがリチャードの目に留まったという経緯でカーペンターズに参加するようになった。
この時にトニーのプレイに目を付けたリチャードはやはり確かな耳を持っていたと云わざるを得ないだろう。
今さらリチャードの耳云々というのも変だが、トニーほどカーペンターズにピッタリくるギタリストが他にいるとは考えにくい。それは残された数々のプレイを聞けば理解ができると思う。
カーペンターズへの初参加となった「愛にさようならを」での、ビッグマフを用いたソロでは音質の面に於いてもプレイの面に於いてもやや堅さが目立つが、そこはご愛敬といったところだろう。その後の活躍でカーペンターズには欠かせないギタリストになった事は、リチャードが起用を続けた事が何よりの証だ。


私がこの素晴らしいミュージシャン達を聞きたかったのはカーペンターズのバックとしてであったのだが、カレン亡き今となってはそれも叶わぬ事となった。
しかし、遺産ともいえるアルバムは多数残されており、特に今回紹介した「緑の地平線」と前後してリリースされた何枚かのアルバムは何れ劣らぬ名作揃いで、カーペンターズの絶頂期といってもいい時期だと思う。
この頃はカレンとリチャードの歌も、バックのミュージシャン達も実に安定感があり、脂がのった極上のトロ状態でプロのワザを見せつけてくれる。
いずれにしてもどこを採っても聞くべき所の多いカーペンターズ、BGM的に聞き流すのではなく、腰を据えてゆっくり聞くことをお薦めする。