グループ・サウンズの楽器事情−1
[ザ・タイガース篇]




日本でのエレキ・ギターの普及に大きく貢献したのはベンチャーズである、という事に異議を唱える人はいないと思うが、実は日本国内を嵐のように吹き荒れたGSブームも大きく貢献しているのではないかと思う。
確かにベンチャーズやビートルズは日本の若者にエレキ・ギターを持たせ、そして自ら歌う事を教えた。
しかし、それらのグループはあくまでも高嶺の花で、決して身近な存在ではなかった。
使っている楽器だって当時の若者には一生かかってもとても手に入れられないと思われるような高級品だった。
何しろフェンダーやギブソンといった高級ギターは、銀座などの一流楽器店でガラス越しに見るしかなかったのであり、今のように気易く手に取って弾くなんていう事は夢のまた夢だったのである。
そんな状況の世の中だったからGSの出現は我々の身には一層身近に感じられたのだ。
というのも、後に人気を得てスターになったグループもデビュー当時は安い国産ギターを使っている人が多かったからだ。
当時の雑誌のグラビアやたまに放送される懐メロ番組のGS特集などで、デビュー当時の映像を見る事があるが、大抵のグループは今にして思えばかなり怪しげな楽器を使っていたりする。
家電メーカーまでもがエレキ・ギターを作ってしまうという凄い時代だったし、多くの人が初めて見て、初めて手に触れるエレキ・ギターであったから、どれが良くて何が悪いのかなんていう情報は殆ど無いに等しかったのだ。そんなワケだから後に大スターとなったGSの面々も、当初は素人と大差ない楽器を使っていたものだ。
それが人気を得るとともに、使う楽器がグレードアップしていったのだ。
GS史上最高の人気を誇ったザ・タイガースの加橋かつみは、当初ギルドのシングル・カッタウェイの赤いセミアコを使っていたが、人気の上昇と共にギブソンのES-335にチェンジした。
私にとってタイガースの加橋かつみといえば、このギブソンの赤いセミアコがいちばん印象に残っており、それは多分彼らの人気が絶頂の時にいちばん多くこのギターを使っていたからだと思う。
そしてちょうど「花の首飾り」がヒットした頃にはフェンダーのテレキャスターも使っていた事がある。私は日劇のウェスタン・カーニバルでこのギターを使っているのを見たことがあるが、実際にはそう長い間使っていたという記憶はない。
タイガースと人気を二分したザ・テンプターズの松崎由治は加橋かつみと同じように、ギブソンのES-335を使っていたが、何故かピック・ガードを外していたし、ストラップを長く延ばしてギターを低く構えていたので、同じギターを使っていたとはいえ、その印象はずいぶん違う。
そしてほぼ加橋かつみと時を同じくしてテレキャスターを使い始め、ウェスタン・カーニバルでは両者揃ってテレキャスターを使ってステージに立っている。
話を加橋かつみに戻すが、彼はほどなくしてギターをエピフォンのカジノにチェンジする。
私が知る限りGSのスター達が自分の使用楽器について詳しく語る事はほとんどなかったので、いつ、どういう理由で楽器を変えたのかは知る由もないが、以後加橋かつみがES-335やテレキャスターを使っているのを見た事がない。
しかし、タイガースとしての加橋かつみ最後のギターになってしまったエピフォン・カジノは現在も大事に使っており、GS関連のイヴェントではそのカジノを使っているのを良く見かける。
以前、あるイヴェントで加橋氏と直接話をする機会を得たが、加橋氏はそういうイヴェントでは意識的に当時のギターを使っているそうだ。
タイガースは他にテスコ(後述)から抜けた人達で作られた会社「ハニー」の「リッケンバッカー・モデル」も使っており、これはメーカーとモニター契約をしていたものだ。
ちょうど「モナリザの微笑」の頃だ。
リッケンバッカー社は当初それほど有名というワケではなかったが、ビートルズが使い始めた事によって、一躍その名を世界に轟かせた会社である。
その人気にいち早く目を付けて、当時新進気鋭の会社であった「ハニー株式会社」がコピー・モデルを作ったのだ。このコピー・モデルは当時としては良く出来ていたようで、タイガースが使い始めた時には誰もがホンモノと信じ込んでいた。
当時の値段は29500円で、これはもう完全にエレキ・ギターの普及を目指した価格設定であったと思う。
世界的な人気を誇るビートルズが使い、そしてコピー・モデルを急速に人気が上昇しつつあったタイガースが使って、オマケに値段が手頃であったから、このギターは相当に売れたらしい。作っても作っても品物が足りなかったというエピソードが残されている。
サイド・ギターの森本太郎はヤマハのSA-50・アルガ・グリーンのギターを長く使っていたようだ。加橋かつみ脱退後リード・ギターに転向した森本太郎は違うギターも使い始めたが、加橋かつみ在籍時にサイド・ギタリストとして使っていた時の印象はこのヤマハのギターがいちばん強い。
このSA-50というギターは国産とはいえ、かなりハイクラスのギターで、当時の値段は53000円であった。この頃は2万円、3万円台のギターが多くて、3万円台後半の値段が付いていれば高級品というイメージだったから、53000円のギターというのはもう完全なプロ仕様であったワケだ。
このギターの色には他にチェリー・レッドなどがあったが、美しかったのはホワイト・シカモアとネーミングされていたナチュラル仕上げのギターで、当時の国産ギターにはまったくなかった木目の美しさを活かしたギターであった。
これは一時期私の憧れのギターで、後年この色のギターを持っていた友人から借り受けてしばらく使っていた事があるが、作られた時代を考えれば充分に良いギターであったといえる。
ただこれらのギターについては不思議に思っている事がある。
加橋かつみがタイガースを脱退した後、森本太郎がリード・ギターに転向したが、その時にはギブソンのES-335を使ったり、加橋かつみ脱退後初のウェスタン・カーニバルではテレキャスターを使ってステージに立っているのだ。
これはあくまでも推測なのだが、以前加橋かつみが使っていたES-335やテレキャスターは自分のギターではなかったのではないかと思うのだ。
この当時の輸入物ギターはとても高価だったので、プロダクションで買って使わせていたという事は実際にあったらしくて、そんな話を業界の人に聞いた事もある。
それが事実だとすれば加橋かつみがタイガース再結成などの舞台で、おそらく多くのファンにいちばん印象深いギターを使わない事が納得できるのである。
これらの事実をご存知の方がいたら是非教えて頂きたいと思うのです。

さて、エレキ・ギターとは切っても切れない関係にあるのが、ギター・アンプだ。
この頃はほとんどのグループが国産のアンプを使っていて、テスコ、グヤトーン、エルクなどの大型アンプが良く使われていた。
タイガースが良く使っていたのはテスコのアンプだ。タイガースはテスコとモニター契約を結んでいたようで、他社のアンプを使っているのはあまり見た事がない。
最も印象に残っているのはKING1800という大型アンプで、大きなヘッドとトール・ボーイ型のスピーカー・キャビネット2台でワンセットというものだった。
ヘッド部にはパイロット・ランプが5ヶ点灯するようになっていて、ステージ映えのするアンプであった。だが何故かタイガースのステージにはこのアンプが4セット並んでおり、それはそれで壮観な眺めなのだが、使い方が今ひとつ良く分からなかった。
3セットはそれぞれギター、ベース、サイド・ギターで間違いないと思うのだが、残りの1セットは何だったのだろうか。
1台が故障した時のスペア用か、あるいはたまに使っていたオルガン用だったのかも知れない。タイガースのステージにはこのテスコのアンプの他に、何だかよく分からないアンプのようなものが置いてあり、私はこれをヴォーカル・アンプのヘッドとニラんでいたのだが、そうすると
残ったテスコの1セットはヴォーカル用として使っていたのであろうか
まだPAの発達には時間を必要とするこの時代には、こうしたアンプの使い方があったのかもしれない。事実、ヴォーカル・マイク用の入力ジャックを持ったギター・アンプもあったのだ。
このKING1800というアンプ、ひとつのスピーカー・キャビネットに30cmのスピーカーを3発マウントし、そのキャビネット2台でワンセットとして計6発のスピーカーを鳴らしていた。そして何と最大200Wの出力を得ていたのだ。
パイロット・ランプの点灯が美しい大きなキャビネットはプリアンプで、メイン・アンプはスピーカー・キャビネット内に収納されていた。
何故プリアンプとメイン・アンプ分割させたのか分からないが、重量と大きさがひとつのネックになったのかもしれない。プリアンプは横76cm、奥行き30cm、高さ18cmで重量は14.8kgとある。これにメイン・アンプの重量を加算すれば相当な重さと大きさになってしまうので、そんな理由から分割されたのかもしれない。
何しろフルセットで100kg位の重さになったワケだから、当時としては超ド級の大型アンプだったのだ。そして値段も21万円という価格が付けられている。これはまさにテスコのフラッグシップ機という位置づけのアンプだったと思う。21万円といえば現在でもちょっとまとまった金額であるから、30年も前の21万円のギター・アンプがどれほどの高級品だったか想像が付く。
以上のようにタイガースの使用アンプで印象が深いのはKING1800であったワケだが、これ以外にももちろんテスコのアンプは使っていた。
私が覚えているのは、たぶん「チェックメイト100」というモデルだったと思うが、スピーカー・キャビネットの回りを太い金属パイプで囲み、そのパイプの上にヘッドを載せるというちょっと変わったデザインだった。
ウェスタン・カーニバルなどでこのアンプを使っているのを見たと思うが、あまり印象深い機種ではなかった。
そして加橋かつみが使っていたアンプの上にはエコー・マシンが載っていた。これももちろんテスコ製のようだったがあまり目立った使い方はしていなかったように思う。
ギターから話は逸れるが、この頃のGSはけっこう機材に凝っていて、マイクなどもグループそれぞれに個性的なデザインのものを使っていた。
タイガースはオーストリア・AKG社のD-202Eというマイクを使っていて、沢田研二が赤、加橋かつみが黒といった具合に各メンバーの使用色が決まっていた。
最初のうち、タイガースはやはりAKG社のD-12という、当時弁当箱と呼ばれていた大きなマイクを使っていたが、いつ頃からか前記のD-202Eを使い始めて、ハデなカラーとともにとても印象深いマイクになっている。
当時のこのマイクの値段は約44000円ほどで、プロ用マイクを数多く手掛けていたAKG社の中でも高価なマイクであったのだ。
このマイクの事で最も印象深いのは、マイクのシールド線がやたらに太くて、その上コードに変なクセが付いていなくていつも真っ直ぐに伸びていた事だ。
シールド線というのは細いものだったり、管理が悪かったりするとすぐに変なクセが付いてクシャクシャになってしまうが、タイガースのそれはいつもきれいだったと記憶している。
余談だが、ゴールデン・カップスが使っていたマイク(確か、ゼンハイザー製だったと思う)のシールド線はいつもクシャクシャであった。
今の音楽界でマイ・マイクを使って歌っている人がどれほどいるのか知らないが、あのGS時代は人気があってテレビに良く出ているようなグループは、みんな自分たち専用のマイクを使っていたように思う。
使っているギターやアンプのみならず、マイクまでトータル的に見せるというのはなかなか面白く、私はGSのお陰でいろいろな機材の事を覚えたと思う。
タイガースが使った楽器及び機材はもちろんこれだけではなく、本文で触れた以外のものも多く使っている。
しかし、それらの事柄をおぼろげな記憶の中から呼び覚ますのは難しいので、主立ったところだけを取り上げた次第だ。
私自身はタイガースから加橋かつみが脱退した時期には、興味が海外から入り始めた新しいスタイルのロック(これを当時はニュー・ロックといった)に移ってしまったので、後半期におけるGSの楽器事情はよく分からないのだが、それでも百花繚乱のGS全盛期の楽器事情は、今思い返してみてもとても面白いものだったと思う。

追記

今読んで頂いた拙文は、当サイトに掲載のテキストを主体に収録した冊子版「Guitar Fan」に載せたもので、このGSの記事はWEB版に掲載する事は考えていなかった。
しかし、「ぜひWEB版にも載せて!」という複数の意見を頂いて、急遽掲載する事にしたものだ。
そして、それを読んでくれた友人Mから貴重な資料を貸して頂いた。
「別冊・近代映画」の1967年11月号である。この本には、「グループ・サウンド−第2集、特集・タイガースのすべて」とタイトルがつけられており、1冊丸ごとタイガースなのである。
その98ページに楽器拝見というホントに小さな記事が載っていて、それぞれのメンバーの使用楽器のメーカー名や値段が記載されているのだ。
森本太郎のヤマハのギターや、瞳みのるのパールのドラムについては無料という記載があり、つまりそれはモニター契約によりタダで提供されていたという事だ。
そして、沢田研二の使用機材については、オーストラリアのAKG社のもので、付属品を入れてザッと60万円という紹介をしている。オーストラリアというのはむろんオーストリアの間違いで、付属品を入れて60万円という金額もあまりに大ざっぱ過ぎて何だかよく分からない。
前述したようにマイクは何れにしても3〜4万円程度だから、残りの55万円ほどの付属品というのはヴォーカル・アンプの事でも指しているのだろうか。
因みにその記事では加橋かつみの使用ギターについては、アメリカ・ギブスン(原文のまま)20万円とあり、岸部おさみのベースについては、西ドイツ製カール・フォフナー(原文のまま)15万円とある。
また、この「別冊・近代映画」では森本太郎がギブソンのバーニー・ケッセル・モデルを抱えているレアな写真を見る事ができるが、このギターもこれ以降使っているのをほとんど見た事がないし、そもそもバーニー・ケッセル・モデルを使っている事自体が不思議な事ではある。
ご存知の方も多いと思うが、バーニー・ケッセルといえば非常に著名なジャズ・ギタリストであり日本にもファンは多い。
だがGSブームのあの時代に森本太郎があのギターを自ら選んで使っていたとはとても思えない。
バーニー・ケッセル・モデルは云うまでもなく基本的にはジャズ演奏用として作られたギターであり、加橋かつみが使っていたES-335に比べてボディもかなり厚く作られているのだ。
そんな大きなギターは、GSのように動きの激しいステージで使うにはやや難があると思われる。ジャズの多くのギター弾きがそうであるように、このギターは座って弾く方が弾きやすいはずだ。
そんな事をいろいろ考え合わせてみると、やはり本文の中で述べたようにこれらのギターは彼らのものではなかったのではないかと思うのだ。

そしてこれは「別冊・近代映画」とはまったく関係ないのだが、冒頭で述べた加橋かつみの使用ギターでギルド社・シングル・カッタウェイの赤いセミアコは、アルバム「タイガース・オン・ステージ」のジャケットを開くと、海辺でジャンプしている写真で見る事ができる。