Mike Bloomfield
フィルモアの奇蹟

fillmore SIDE−1
1.OpeningSpeech
2.The 59Th Street Bridge Song
3.I Wonder Who
4.Her Holy Modal Highness
SIDE−2
1.The Weight
2.Mary Ann
3.Together ’Til The End Of Time
4.That’s All Right
5.Green Onions
SIDE−3
1.OpeningSpeech
2.Sonny Boy Williamson
3.No More Lonely Night
SIDE−4
1.Dear Mr.Fantasy
2.Don’t Throw Your Love on Me So Strong
3.Finale−Refugee

1968年9月26、27、28日の3日間にわたってサンフランシスコのフィルモア・オーディトリアム(通称フィルモア・ウエスト)で行われたセッションをライブ・レコーディングしたのが本作品で、1969年にリリースされている。
サンフランシスコで出版されていた音楽雑誌「ローリング・ストーン誌」のレコード評で、このアルバムはアル・クーパーのヴォーカルとオルガンの力量不足を指摘されて、救いようのないほど低い評価をされているが、今聞いてみれば決して悪いアルバムではない。
確かにローリング・ストーン誌が指摘するように、アル・クーパーのヴォーカルとオルガンに秀でたものがあるとは思えないが、ヴォーカルに関していえばマイク・ブルームフィールドだって似たようなものだ。
しかし、ここではアル・クーパーの決してテクニカルではないオルガンが、緊張感に溢れたステージの雰囲気を和らげているような効果さえ感じさせ、ゆったりしたムードを与えているように思われる。
このアルバムがリリースされてからしばらくして、この続編ともいえるカタチで「永遠のフィルモア」と題されたアルバムがリリースされており、こちらには問題のアル・クーパーは不在であるが、全体の出来としては本作の「フィルモアの奇蹟」の方が圧倒的にいい。
アル・クーパーの事はさておき、ここはマイク・ブルームフィールドである。
最近マイク・ブルームフィールドの古い録音がずいぶん発掘されてCD化されているが、やはり旬といえるのはポール・バターフィールド・ブルース・バンドでの作品や、エレクトリック・フラッグ、そしてスーパー・セッションや本作品という事になると思う。
そしてどんな音楽でも基本的にライブを好む私としては、本作品を一番にお薦めしたい。
多くのギタリストは大抵神経質なものだが、マイクもこの作品の録音当時かなり神経質になっていたようで、リハーサルの時から5日間も眠れないという極度の不眠症に陥っていたとライナー・ノートに記されている。
斯くしてマイクは病院に担ぎ込まれ、結果として代役に起用されたかつての同僚、エルビン・ビショップの血気に逸るギターや、カルロス・サンタナのウッドストック以前のブルース・ナンバーが聞けるという嬉しいオマケが付いた。
しかし、どんなオマケが付こうと、ここでのいちばんの聞き所はマイク・ブルームフィールドのギターに尽きる。
アルバムのトップを飾るのはサイモン&ガーファンクル作品の「59番街橋の歌」だ。
これはサイモン&ガーファンクルが1966年に発表した「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」に収められていた、彼らにしては比較的明るい曲だが、アルとマイクは曲の表情をすっかり変えてしまった。
当初この二人がS&G作品を取り上げる取り上げるのは意外な選曲のような気がしたが、後になってマイクのインタビュー記事を読んでみると、彼の音楽的嗜好からいってもまったく不自然でない選曲であることを理解したものだ。
もはやこれはブルースといってもいい解釈だ。
ギターは当然レス・ポール・モデル、アンプはフェンダーと思われるが、実にいい音を出している。こんなにクリーンで伸びやかなレス・ポールの音を後にも先にも聞いた事がない。
数あるレコードやCDのなかに収録されているギターの音のなかで、レス・ポールとしては最高の音で収録されているひとつであると思う。間奏の後からは作者であるポール・サイモンの声がオーバーダビングされて、アル・クーパーとデュエットしているのを聞く事ができる。
先述したアル・クーパーのオルガンの問題だが、この演奏を聞く限りアルのプレイは充分とはいえないまでも、「マァいいんじゃないの」程度には達しており、これはこれでいいと思う。
誰もがジミー・スミスみたいに弾いたら面白くないし、むしろこの場面ではアルの弾くオルガンが相応しいと思われる。
次の「I Wonder Who」はマイクお得意のブルース・ナンバーだ。
これはマイクが崇拝するレイ・チャールズの作品で、ここではヴォーカルも披露しているが、そのレベルはアル・クーパー以下だ。
当時のライナー・ノートを読むと「上手いとはいえないが、味のあるヴォーカルだ」などと書いているが、これは苦しい。
ライナー・ノートにハッキリ「下手だ」と書けない筆者の苦しさが見える。
しかし、ギターはいい。
このアルバムが録音された1968年頃はアメリカでもイギリスでも極端にいえば、ギタリストはみんなブルースを弾いていたような時代で、例えばベンチャーズなど弾こうものなら、それは罪悪視されかねないような風潮さえあったのだ。
しかし、アメリカのプレイヤーとイギリスのプレイヤーでは出す音が決定的に違う。
最近では両国のギター・プレイヤーの音の差というのは昔ほど顕著ではなくなってきた面もあるが、1968年当時は大きく違っていた。
やはり食べていたもの、吸ってきた空気、飲んできた水の違いは大きいのだ。
アメリカのプレイヤーは肩に余計な力が入っていないのだ。
この曲で聞かれるマイクのギターはその辺の違いを見せつける。
クリーム解散後アメリカ寄りに走ったクラプトンは、マイクやジミ・ヘンと直に接して、そういう事を痛いほど感じ取ったのだろう。
だが、残念な事にこの曲は途中でフェード・アウトされてしまう。
やたら長い演奏にアルが耐えられずに、プロデューサーとしての特権を発揮したのだろうか。
あるいは自分の見せ場がなかったから強権を発令したのだろうか。
代わりにスーパー・セッションに収められていた4が収録されており、当時はこうした曲を有り難がって聞いた人もいるが、何だかワケのわからない曲で、当時もそして今も私は好きではない。
このアルバムの圧巻はDISC-1のB面だ。
「THE WEIGHT」はザ・バンドの曲として非常に有名だが、ここではインストで演奏している。
今にして思えば何故歌を入れなかったのか不思議に思うが、これは入れなくて大正解。
アルの決断に感謝したい。
でもこの曲をこういう風にアレンジしてしまうとはサスガだ。もしこれがアル・クーパーの成せるワザの所産ならそれだけで存在価値がある。オルガンの事などどうでもいい。
そしてこの曲を聞くといつも思う事がある。というのはこのユニットで二人が目指したのは「Booker T & The M.G.'S」なのではないかということだ。
この事に関して私が感じていることは抽象的で説明が難しいので根拠を問われると困るが、それは殆ど直感的なものなのだ。
云ってみれば音の背後に感じる空気感みたいなものが共通しているように感じられる。
それにしてもこの曲でのマイクの直感的なギター・プレイは凄い。
これこそイギリスのプレイヤーではマネの出来ないワザだ。
とても名門のシカゴ大学に入ったインテリ?とは思えない音の出しようだ。
ソロのなかでチラッと顔を出すブルー・ノートがカッコイイ。
次の「Mary Ann」も実にいい。
これはスリー・コードのシンプルな構成だが、私にとってはマイク・ブルームフィールドのベスト・テイクのひとつに挙げられる曲だ。
ここでマイクはかなり抑え気味のプレイをしており、その音色はクリーンで、軽くしなやかで、時によってはセクシーでさえある。
他にこういうプレイをする人がいるだろうか。
歌でもギターでもある程度以上の実力があれば、情念のこもった、あるいは熱の入ったプレイ(歌を歌う)事は可能だろうが、感情を抑えて語りかけるように歌ったり弾いたりするのは、その上をいく高度な技量だ。最近そういうプレイを聞かせてくれる人がいない。
間奏の途中でリズムが変わってギターは歪んだ音になるが、これはアンプのナチュラル・ディストーションの音で、エフェクター類の使用はないと思われる。
これについては当時のインタビュー記事で、自分自身のためにファズヤワウワウを使う事はないと云っているから、間違いはないだろう。
この後2曲を挟んでBooker T & The MG'Sの「GREEN ONION」に続く。
この曲は原曲よりもマイクのギター・ソロが長くなっているが、全体の雰囲気としては原曲をほぼ忠実にこなしている。
興味がある方はアトランティックから出ている「THE STAX / VOLT REVUE Vol.1 LIVE IN LONDON」を聞いてみる事をお薦めする。
古い音源だが現在CDで入手可能だ。
SIDE-3になってついにマイクは不眠症のため病院に担ぎ込まれてしまい、ステージには代役が立つ。
カルロス・サンタナとエルビン・ビショップだ。
「SONNY BOY WILLAMSON」ではカルロス・サンタナがギターを弾いている。
これが録音されたのは1968年9月で、あのウッドストックでの衝撃的なステージが1969年8月16日だから、これはウッドストックでサンタナが世界的に認知される1年も前の貴重な録音だ。
サンタナが今のスタイルを確立する前にブルース・バンドをやっていたというのは衆知の事実だが、1年後のウッドストックでのステージと比べるとすごい違いようだ。
バックのミュージシャンも曲の雰囲気も全然違うので一概には云えないが、このフィルモアのステージで聞ける音は明らかに発展途上の音だ。
ウッドストックの時ももちろん完成されていたワケではなくて、かなり荒削りな演奏をしていたが、後に続くサンタナ・カラーの基礎は既に出来上がっており、いわゆる客演というカタチで残っている本テイクは貴重だ。
余談だが、このLPの解説には代役に立ったエルビンの事については触れているが、サンタナの事については一言も触れられていない。後に大人気ギタリストになったカルロス・サンタナだが、この当時の扱いはこんなものだったのだ。
続く「NO MORE LONELY NIGHT」ではエルビン・ビショップがギターを弾いている。
このステージの何年か前、マイクがバターフィールド・ブルース・バンドを辞めたのはエルビン・ビショップが原因だったと、マイクは後に語っているがその理由はエルビンがリード・ギターをやりたがったという事にあるらしい。
冷静に考えればどちらがリードをやるかという問題は、すぐにはっきりした結論が出ると思うのだが、実力で勝っているマイクが辞めていったというのも面白い。
ここでのエルビンは大舞台に興奮したのか、はやる気持ちを押さえきれずにギターにぶつけてしまっている。
皮肉にもここでエルビンはマイクとの実力の相違を露呈する事になってしまったが、これはこれで私は好きである。
結果的に云えばエルビンはブルース・ギター弾きではないのだ。
後にエルビンは自らのバンドを率いて自身の音楽を見付けるが、この当時はまだ過渡期の未熟さが窺える。
しかし、フェンダーのアンプを使っていると思われる335の音はナチュラルでいい。
SIDE-4の2では不眠症から復活したマイクがアルバート・キングのブルースを披露している。
やはりこういう曲でのマイクはいい。当時のマイクのインタビュー記事を読むと、かなりカントリー・ミュージックに傾倒しており、すぐにでもカントリー・バンドを始めたいという主旨の発言をしているが、こういうブルース・ギターを聞いているとどうしてもカントリーとは結びつかないのだ。
前出の「THE WEIGHT」などを聞いていると、並のブルース・ギター弾きにはないカントリー・フレイバーを感じさせるが、実際にカントリー・バンドを率いたマイクを見てみたかったと思う。
SIDE-1の「I WONDER WHO」と違いこの曲は最後まで録音されているので、マイクのスロー・ブルースを充分に堪能できる。
以上が「フィルモアの奇蹟」の主立ったところだが、マイク・ブルームフィールドはその初期にいい録音が集中しているので、またの機会に別のアルバムも紹介したい。